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沖縄自治研究会

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沖縄自治憲章 

第5回 定例研究会 第3部 「80年代初頭の自治・自立構想」
報告1 『沖縄自治憲章』 
2004年8月7日(土)
沖縄国際大学教授 前津 榮健


○司会(仲地博)  それでは午後の部、午後の上の2つ目、本日の4つ目のセクションですけれども、80年代初頭の自治自立構想ということで、2つの報告を準備しております。
 報告の1が、前津榮健さんによる「沖縄自治憲章」、報告の2が、高良鉄美さんによる「琉球共和国憲法」です。報告、議論、それぞれ別々に報告し、議論をすることになっておりますので、順序よく前津さんからいきたいと思います。
 それでは前津さん、よろしくお願いいたします。


○前津榮健  皆さん、こんにちは。
 私の報告は、「沖縄自治憲章(案)について」です。最初にお断りしておきますが、この自治憲章については、仲地先生が直接関わっており、また屋嘉比さんは、玉野井先生のゼミの学生でしたので、お二人の方が本来なら適任だったと思いますが、私に回ってきましたので報告いたしますが、勉強不足から満足してもらえるような内容にはありません。

 それというのも、私は玉野井先生のお名前は知っておりましたが、どういう先生なのかということについてはよく知りませんでした。今回、いろいろ調べてみると業績も非常に膨大ですし、経済学においては大家の先生で、著書を幾つか読もうと思って挑戦したのですが、あまりにも高度な内容で、私の能力では読みこなす事が出来ませんでした。

1.経歴
 最初に、玉野井先生の経歴から紹介してみたいと思います。先生は、1918年に山口県の柳井市でお生まれになりました。実家は祖父の代から続く玉野井ガラス店で、そこの長男として誕生されました。

 当初は家業を継ぐことをめざし、山口商業高校に進学されたようですが、そこで哲学者の滝沢克己さんという方と出会って、それが転機となって方向転換して、東北帝国大学の法文学部経済学科に入学されたようです。42年に同大学の助手に採用され、44年講師、48年には助教授と昇任され、その後、東大の教養学部助教授に就任されています。最初の著書が54年の「リカアドオからマルクスへ」ですが、当時玉野井先生は経済学史の講義を担当されており、そういう著書が出たかと思いますが、最初の頃はマルクス経済を東北大学時代もずっと中心になされたようです。51年に東大に移られて、60年に教授に昇任し、ハーバード大学に留学され、その後、近代経済学も学ばれ、従来のマルクス経済学から近代経済学へと学問分野を広げられたようです。

 しかし、経済学者の中からは変わったことに対する強い批判があったようです。奥様の先生を語る一節の中に、その点についてちょっと苦悩なされていた時期があったということが述べられています。

 沖縄国際大学には78年にお見えになりましたが、76年には東京の方で、「地域主義研究集談会」というものを結成されております。その会は、これからは中央集権に対して地域主義であるとのことで、それらについて語る会として結成されたようです。

 その後、沖縄にお見えになり、78年7月に「沖縄地域主義集談会」を設立されております。また80年には「平和をつくる沖縄百人委員会」を結成されました。それについてはまた後ほど出てきますが、先生は、琉球新報、それにタイムスの社長であった豊平さん、池宮城さんらと一緒に代表世話人になられています。そして85年3月に「生存と平和を根幹とする『沖縄自治憲章(案)』」をまとめられたわけです。同年の4月には明治学院に移られましたが、同年の10月に享年67歳で亡くなられました。

 この沖縄自治憲章には玉野井先生の考え方が強く反映されていますが、玉野井先生という方がどういう方だったのかを知らないことには、理解できない部分がありましたが経歴を知れば知るほど、偉大な学者であったとの思いが強く致しました。


2.地域主義とは
 さて、その玉野井先生の主張された、地域主義についてですが、「地域分権の今日的意義」という論文が『地域分権の思想』の中にありますが、そこから抜粋し、この地域主義について、その当時の先生の状況認識について触れてみたいと思います。

 「日本では、明治以後に近代を経験しながら民族と国家と社会は一つのものに重なったまま現れている。そのような同質社会であるところに、さらに一点中心性が加わったのであるから、まさしく異常で例外的な状況がつくりだされることになる。国民的エネルギーの大半が東京に集中し、東京があたかも全国を支配するようなかたちでの国民生活が現出するにいたった。国民の顔はみな東京に向いており、地方のどの都市へ行ってもミニ東京やミニ銀座がつくられて、全国画一の面白くない都市や地方生活が多くなっている。

 それゆえ、国民の巨大にエネルギーを今や東京から地方へ逆流させて、個性と多様化に満ちた国民生活を再生させることこそ、現代日本の百年の計と考えなければならない。地方から欠落した地域的個性を再生させ、伝統と文化に地域差に満ちた多様性の中に新たな国民的統一を求めるという方向なのである。その方向に即して、東京という中央もまた、単純な中央という存在にとどまらないで、一つの個性的地域へと還元させなければならない」と、まずその状況を指摘しています。

次に、地域主義とは何かということについて次のように定義しています。「地域主義とは」とは、「一定地域の住民が、その地域の風土的個性を背景に、その地域の共同体に対して一体感をもち、地域の行政的・経済的自立性と文化的独立性とを追求することをいう」と定義しています。そしてその考えが、この憲章の中にも反映されています。

玉野井先生は、「地方」ではなく「地域」という言葉を使われていますが、なぜ「地方」ではないのかということについて次のように説明されています。
 「『地方』という言葉は、一点中心型の日本でいえば、中央に対する地方という反対概念になります。――『地方』は――非文明的という意味で考えられてきた傾向があり――いまやそういうコンプレックスから地方が脱却する必要がある、という意味では『地域』という言葉のほうが望ましい――中央もまた一つの地域的地方としてとらえられなければならない――それから、地域というと、一定の空間が中に含まれているような言葉になる――一種のテリトリーで――同時に、複数の概念としてとられやすい――個性に満ちた諸地域です」とし、地域という言葉にこだわっています。

 そして、中央の権力、中央政府を中心とした経済体制を変革して「地域分権」を進めることについて、「地方自治体に権限を譲っていくことは、日本の力を弱めるのではなくて、かえって強める結果となる。国というものを構成する身体諸器官を強めていくになると思います」と述べています。

 先生の「地域」「地域主義」「地域分権」についての基本的な考え方が、この論文では示されているような感じがいたしました。この昭和52年の論文を読んでいると、近年の地方分権の時代を迎えての著書や論文等と非常に似通っている部分があって、当時から年月はたっているものの、状況は全く変わることなく今日まで続いてきたことを改めて認識することが出来ました。


3.なぜ自治体「憲法」が必要なのか
 そこで、なぜ「自治体憲法」が必要なのかについて、玉野井先生は、自治体憲法という言葉を用いて、「地域主義と自治体『憲法』―沖縄からの問題提起―」という論文を『世界』の408号79年11月号に書かれています。

 その中で、なぜ自治体憲法が必要なのかということについて次のように論じています。

 最初に、「『中央』そのものが地方分権、いや正しくは地域分権の確立を中央集権的に達成するというのは、もともと論理的矛盾ではないだろうか。(略)このさい各自治体は、地域住民の総意を体現して、『地方の時代』にふさわしい自主・自立の姿勢を国に対して表明しなければならないように思われる」とし、そして、中央集権的にことを進めると、国から地域に金と物が画一的に大量に投入されることによって、地域の方に混乱と荒廃が起こるというような指摘しています。そして、県や市町村というのはこのさい国の出先機関であることをはっきりやめて、自主・自立の対応をあらかじめ用意し試行する必要性を指摘しています。

このように自治体の国に対する態度表明の必要性を指摘されて、自治体の役割や意思決定について次のように、「土地と水の利用を含めての人間生活の日常性にかかわる諸問題、わけても生活環境、保育養老などにかかわる文化、生活上の諸問題については、その決定の主体は、国や地方レベルにおける抽象的個人ではなくて、諸地域のレベルに位置する地方自治体であり、正しくはそれを構成する地域住民=地域に生きる生活者でなければならないことがわかる」と指摘しています。

 先生は、団体自治、住民自治について、ドイツを中心としたヨーロッパの歴史的な経緯について触れられていますが、先生の論文を読んでみますと、ドイツ、ヨーロッパ諸国の団体自治の歴史や思想に関する研究の成果を感じます。そして、日本の憲法学で論じられてきた自治の根拠をめぐる「固有説」、「伝来説」、「制度的保障説」に検討を加えられ、「従来の『伝来説』といい、『固有説』といい、見方によっては、前者は国の面から、後者は自治体の面から、ともに国と自治体を同一平面でとらえる誤りをおかしていたともいえるように思われる」というような指摘し、これらの説について、「私がこの学説に言及したのは、むしろ論争に含まれる意味を、憲法学者の専門論争の枠内から取り出すための作業にすぎなかった。自治体の歴史的個性を再認識するための道を開きたかったからである」と思いを述べている。

 特に、この「住民自治」というものの捉え方について、従来の憲法学者の論じ方に疑問を投げかけ、自治体の憲法制定について、「すでにわが実定憲法は、自治体をたしかに国のひとつの制度として保障している。そして国と自治体とは明らかに異なった目的と機能をもっているはずである。そのような諸地方自治体が、国のレベルとは異なる諸地域のレベルでの具体的な文化・生活権の確定をとおして、それぞれに固有の自治、したがってまた自己統治の理念を明らかにしてゆくなら、地域的個性にあふれる多数の自立的な自治体の連合の基礎上に新たな国民国家を築きあげてゆくことも可能となってくるのではないだろうか。このような理念を明記する『憲法』をそれぞれも(ママ)自治体が制定することを試みても、今日の時点において不自然のそしりをこうむることはけっしてありえないように思われるのである」と指摘し、自治体の憲法制定の意義を強調しています。

 更に、「地方の時代とは諸地域の時代のことであり、諸地域の時代とは諸自治体がそれぞれの本格的な「憲法」、憲章、または条例を制定する時代のことであるといってよいのではなかろうか。なるほどこれらは、いずれも法律の下位規範であるかもしれない。しかし、何が地域の生活者=住民にとって真に共通の利益となるべきであるかを自分自身の手で書くということは、法律にまさるとも劣ることのない「よいしきたり」をうちたてることを意味する。これが自治体の自己革新でなくてなんであろう」とし、地域の時代に自治体が自らの力で憲法、憲章、条例を制定することの意義を、「よいしきたり」という言葉を用いて強調しています。

 次に、なぜ沖縄でという疑問に関連すると考えられる点について、次のように論じています。「沖縄県という名の南方の島々に生きる人々がつくりあげてきている歴史的な社会的実体は、県という国の行政単位の枠をはるかにはみでるほどの大きさをもっているように思われることである」とし、その大きさを示す2つの事実群を挙げています。まず1つは、「沖縄県がかつてまぎれもない独立国家だったという厳然たる事実」ということで、琉球王朝時代のことなどにも触れ、黄金時代が沖縄にはあっというような指摘をしています。そして、経済学者の平良恒次先生の「琉球は明らかに、一国たるに値する伝統と文化をもっているということができる」(『日本国改造試論』講談社現代新書)との指摘を引用しています。

 もう一つの事実群については、「沖縄の人々にとって戦後から復帰までの期間が、ある意味で沖縄解放の歴史的瞬間の時期でもあったといえる」というような指摘をされています。もちろん、いろいろ米軍占領の下での厳しい軍政についても触れていますが、そういった歴史の中で、いろいろな沖縄の歴史とか伝統が再生してきのだという指摘もしています。経済面においては、現在も様々な面で沖縄ブームがみられますが、その当時は味噌や醤油等のようですが、そういったものが50年代沖縄で盛んに製造されるようになっているという指摘し、また、B円を使いこなした歴史や、政治的には、45年の沖縄諮詢委員会の発足とか、沖縄では婦人参政権が本土よりも早く実現した点などにも触れています。そして、比嘉幹郎先生の論文(「沖縄自治州構想論」中央公論71年12月号)から、「沖縄の住民の長い自治闘争の結果、琉球政府は、立法・司法・行政の各分野において実質的に行使するようになった。―――」、「憲法や地方自治法の精神からして、地方自治は、中央から委任される権限としてではなく、住民固有の権限として把握されるべきであろう」との部分を引用し、比嘉先生の説を、明らかに歴史実体説の見地からの固有説とみてよいとし、これまでの自治権をめぐる議論において沖縄の事例がいったいどの程度念頭におかれていたのだろうかと本土の学会論争に疑問を投げかけています。


4.沖縄自治憲章(案)制定作業と内容
 では、この自治憲章の制定作業はどのように進められ、どのような内容なのかをみてみたいと思います。81年の春頃、自治体憲法に関するが研究会が、沖国大の政治学を担当されている西原森茂先生、憲法担当の大林文敏先生、それに琉大の行政法担当の仲地先生の3人で発足したようです。西原先生の書かれたものや、仲地先生の新沖縄文学86号における発言からしますと、玉野井先生はたまに出席される程度で、3名で主に議論をしたようです。

 西原先生の論文(「沖縄の地域性と政治」『自治の挑戦―これからの地域と行政』)によると、琉大の首里キャンパスで3回、それから大林・西原で1回、計4回の研究会がひらかれ、81年の7月に5章22条の7月案が出来上がったようです。

 7月案には、「前文」はなく、「第1章 沖縄の自治」、「第2章 沖縄の平和」、「第3章 住民の基本的権利」、「第4章 住民の生活」、「第5章 憲法の保障」という内容だったようです。

 その案に、玉野井先生が手を加え文案が完成したようですが、それが「生存と平和を根幹とする『沖縄自治憲章』(案)」で、3章18条で構成されています。ご覧のように、「前文」が付され、「第1章 沖縄の自治」、「第2章 沖縄の生存と平和」、「第3章 憲章の保障」という内容になっています。

 この前文についてですが、玉野井先生はこの案を発表する前に、西原先生の方に前文を書くよう依頼したようです。西原先生が書かれたのが、憲章の3枚目の資料に西原案がありますが、これは後程ご覧下さい。

 両案について、西原先生は「わたくしは、復帰運動の延長線上に沖縄の地方政治を、やや力みながら描いていますが、玉野井教授は、沖縄の人々の理想や権利は、非暴力の伝統や平和的な近隣外交に根ざすもので、そして平和への希求は生まれるべくして生まれたとされます」と指摘され違いなどについても触れています。

 このような経緯で自治憲章(案)は作成されましたが、玉野井先生は当初、研究会の基本条例案ではなく、自治体憲法という名称を使いたかったようです。これについて、3名の議論の中でも大林先生と仲地先生は実定法の研究者でから、憲法の下に憲法というのが制定できるのかについて、かなり議論されたようですが、最終的には先生が憲章とされたようです。


5.若干のコメント
 そこで内容についてですが、基本的な規定である第1条 住民主権、文言などについてですが、日本国憲法、川崎市の憲章をモデルにしたこともあって、憲法の表現にかなり似ているなという部分があります。

 まず第1条の住民主権、第2条の自治権、第6条の権利の享有、それから第9条の生存権の保障等の基本的な権利等に関する枠があり、それに加え地域主義という側面が反映されていると思われる部分があります。たとえば、第7条のシマの生活は、「自治体は、沖縄の社会的基礎であるシマ(字、区)の生活文化と自治を損なわないように細心の注意を払わなければならない」と規定され、また、第8条の地域文化は、「自治体は、沖縄が歴史的に独自の文化を創造し、日本文化において、重要な地位を占めていることに鑑み、この地域の文化を積極的に保護し、育成しなければならない。学校教育および社会教育は、ともに地域の文化と環境を基礎として、実施されなければならない」と規定されています。さらに、第10条の相互扶助と共同性は、「相互扶助と共同性は、沖縄の民衆の伝統的特徴であり、沖縄の生活環境及び住民の生活権は、この伝統の上に築かれねばならない」と規定されています。

 玉野井先生は沖縄の様々なことに関心を示され、各地を回られたようですが、特にこの文化の問題に関して、西表に行かれた時に、三味線を弾いて一家が語らっている姿などに非常に感銘を受けたようで、そこから教育の問題に発展させて、家庭における父親の存在等についても書かれています。そのあたりの経験や思いなどが出ている部分じゃないかなと思います。

 次に、玉野井先生は様々な公害問題や、それに原子力問題等についても研究されましたが、それが沖縄の自然環境に係る第11条で自然の共有という形で反映されています。

 「沖縄の自然は、住民共有の財産であり、その利用にあたって、濫開発は決して行ってはならない。何人も、沖縄の自然を汚染してはならない。沖縄住民及び自治体は、沖縄の誇る自然環境、生活環境および地域文化環境を良好に維持し、または改善するため、積極的に努力する責務を負う。われわれ沖縄住民は、廃棄物の排出と処理に最大限の注意を払い、水と緑の豊かな自然環境をつくりあげていくよう努めなければならない」と規定しています。

 先生は沖縄在住後半の頃、特に海の問題入浜権等にも関心を寄せられたようですが、それが11条の後半部分に、「入浜権と水利権は、相互扶助と共同性の伝統に基づき、かつ沖縄の自然環境にそなわる固有の慣行的権利として、確認されなければならない。沖縄住民は、日照、通風、静穏、眺望、および地域の文化環境に関する環境権を有する」という表現で表されています。

 以上の点は、先生の特に地域主義というのがあらわれている部分と思われますが、研究会の方では、先生のこの地域主義の考え方をどのように文書化・規定化するかということで非常に苦労されたようです。
 次に、当時としては先進的な規定だなと思われるのが、第3条の参加する権利で、沖縄住民は、地域に関する問題につき、「10分の1以上の連署をもって住民投票の請求をすることができる」とし、「長は住民投票の結果を尊重しなければならない」とし、地域の利害に関する問題については、「地域の利害に関して住民集会を開くことを要求することができ」、「自治体の長は、住民集会の意思を尊重しなければならない」と規定している。更に、「自治体は、地域住民の意思が、最大限に自治体行政に反映されるように、行政手続きを定めなければならない」ということで、行政手続きについても触れている点です。

 第4条は、知る権利ですが、「沖縄住民は、地域の主権者として、必要な自治体行政に関する情報を請求し、利用する権利を有する。自治体は、具体的かつ積極的な方法により、自治体行政に関する情報を住民に提供するよう努めなければならない。自治体行政に関する情報は、公開を原則とする。情報管理に関する細則は別に定める」とし、情報公開について当時としては早い段階で知る権利を取り入れています。

 それから第5条のプライバシーの権利は、「何人も、私的事項を侵害されず、且つ自己に関する情報をみずから統制する権利を有する」と、これは自己情報のコントロール権にまで及んでいます。また、「自治体における個人情報の処理は、前項に定める権利を侵害しないよう、厳重に管理されなければならない」と個人情報の処理・管理についてまで規定するなど、非常に先進的な内容になっています。

 憲章のもう一つの特徴は、平和に関する規定です。これは12条から15条に規定されています。第12条は平和的生存権と平和的地域交流について規定し、第13条は平和主義で、自衛戦争を含むあらゆる戦争を否定し、「沖縄地域において、核兵器を製造し、貯蔵し、または持ち込むことを認めない」とし、「核兵器搭載可能な種類の艦船、航空機の寄港および海域・空域の通過を認めない」と、徹底した平和主義を宣言しています。

 それから14条は、慰霊の日ではなく、非核・平和の日を定め、「人間の尊厳および非核・平和の思想の普及に努めなければならない」とし平和への積極的な働きかけを求めています。

 それから第15条は平和的生存権を確保するための諸権利で、「軍事目的のための表現自由の制約を拒否する権利」、「軍事目的のための財産の強制使用、収用を拒否する権利」、それに「軍事目的のための労役提供を拒否する権利」を定めています。平和に対する強い思いというものが現れています。

 この憲章の保障に関しては、第16条はこの憲章の最高規範について宣言し、第17条は、この憲章を保障するための審査委員を設置し、「審査委員会は、一切の条例・規則または自治体の行為が、この憲章に適合するか否かを点検審査し、全住民にその結果を公表する権限を有する」と規定していますが、おそらくこの委員会は、違憲立法審査権を行使する裁判所をイメージしたものと思われます。

 第18条は、国及び自治体に対する住民の抵抗権と国に対する抵抗権を規定しています。

 この憲章案は、県レベルのものなのか、それとも市町村レベルのものなのかについてですが、大半はどちらとも読めるかと思いますが、例えば3条の住民集会などは市町村レベルを想定しているように思います。

 それから、この憲章をどのようにして具体化しようとしたのかについてですが、1985年の春、沖縄地域主義集談会の方で議論され、その後、平和をつくる沖縄百人委員会で2度議論したようです。玉野井先生は自信を持たれていたようですが、コンセンサスを得られなかったということです。百人委員会では、この憲章は沖縄の独立を目指すものなのか、あるいは法律に違反する内容ではないのかとの指摘があったようです。その後の、仲地先生、新崎先生、それに岡本先生の対談の中で(新沖縄文学6号)、新崎先生は、先ほど私が読み上げた第8条の「自治体は、沖縄が歴史的に独自の文化を創造し、日本文化において重要な地位を占めていることに鑑み」の部分について、もっとストレートに沖縄の立場を主張すればいいのに、日本に受け入れてくださいという回りくどい言い方になっていて、何かまどろっこしさを感じる反応がかなり強かったとの印象を受けたと述べています。

 このように百人委員会では受け入れられなかったのですが、玉野井先生は、市町村長や議会を動かして制定を試みられたようで、仲地先生と北中城村と読谷村にも行かれたようですが、好意的には受け入れてくれたものの動きはなかったようです。

 結局、先生は、百人委員会で合意を得られないまま沖縄を去られたわけですが、この憲章(案)は、地方分権がやっと動き始めた現在、この案をみてみると、内容的にも自治基本条例としての内容になっていて意義あるものと思います。冒頭でも触れましたが、当時の先生の状況認識、それに地方分権推進委員会の中間答申など、また、最近の自治基本条例制定への動き等を考えると、玉野井先生は本当に先見の明を持たれた方だったと思います。また、当時、このような内容の憲章ができたということは、画期的なことであり、仮に、この憲章が制定されていたなら現在の沖縄はどうなっていたのだろうかとつい考えてみたくもなります。この自治憲章案は、今後の基本条例を考える際の、非常に価値のあるモデル・資料であると思います。以上です。あとは冒頭で話したように、仲地先生と屋嘉比さんに補っていただきたいと思います。



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